こんにちは。
観劇三昧OLです。
先日、ミュージカル『パレード』大阪公演に行ってきました!
12時開演→11時開演に変更していたので、遅れて来られる方がとても多かったです。
もう少し大々的にお知らせしたらいいのになあーと思ってしまいました。
さて、今回も前回のスルースに引き続き備忘録となります。
スルースの記事はこちら
パレードはスルースと違って頭を働かせながら観ることはできたものの、感想やら考察をずらずらっと書くのがしんどい内容でした。
初演は観ていないので、完全初見・1回しか観劇していない人の備忘録になります。
以下、ネタバレを含みます。
ミュージカル『パレード』概要
ミュージカル『パレード』あらすじPV<冤罪ver.>
あらすじ
物語の舞台は、1913年アメリカ南部の中心、ジョージア州アトランタ。
ミュージカル『パレード』公式サイト「ストーリー」より引用。
南北戦争終結から半世紀が過ぎても、南軍戦没者追悼記念日には、南軍の生き残りの老兵が誇り高い表情でパレードに参加し、南部の自由のために戦った男たちの誇りと南部の優位を歌いあげる。
そんな土地で13歳の白人少女の強姦殺人事件が起こる。容疑者として逮捕されたのはニューヨークから来たユダヤ人のレオ・フランク。
実直なユダヤ人で少女が働いていた鉛筆工場の工場長だった。彼は無実にも関わらず様々な思惑や権力により、犯人に仕立て上げられていく。
そんな彼の無実を信じ、疑いを晴らすために動いたのは妻のルシールだけだった。
白人、黒人、ユダヤ人、知事、検察、マスコミ、群衆・・・・それぞれの立場と思惑が交差する中、人種間の妬みが事態を思わぬ方向へと導いていく・・・・。
https://horipro-stage.jp/stage/parade2021/#story
レオ・フランク事件*という、実際に起きた冤罪事件を題材にした作品です。
白人と黒人、ユダヤ人と非ユダヤ人、北部と南部、、、
あらゆる人種間の差別意識や集団心理、また、夫婦間の問題や絆などあらゆる要素を絡めたストーリーとなっており、1999年、トニー賞最優秀楽曲章・最優秀脚本賞を受賞しました。
日本では2017年に初演が行われ、クチコミで評判がどんどん広がっていったのを私も覚えています。
この度満を持しての再演となりました。
*リンク先はレオ・フランク事件についてホリプロさんが解説しているページです。分かりやすくまとめられていて、舞台写真もいっぱい載っています。
キャスト
石丸幹二
堀内敬子
武田真治
坂元健児
安崎 求
未来優希
内藤大希
宮川 浩
秋園美緒
飯野めぐみ
熊谷彩春
石井雅登
白石拓也
渡辺崇人
森山大輔
水野貴以
横岡沙季
吉田萌美
福井貴一
今井清隆
石川 禅
岡本健一
日本の歌うま揃い踏み!って感じのキャストですね。
歌の力量が気にならない分、内容に集中することができて良かったものの、
歌に込められた想いやらなんやらがひしひしと伝わってきて余計につらい舞台でした。
備忘録
セット
生オケなのね!知らなかった。
上手、下手ともにオケピを縦断するように橋がかかってて、そこで歌ったりオケピの中に捌けていくこともしばしば。
橋の真ん中で熱く歌ってて、観てる分には楽しいけど客席との距離大丈夫?!?!となってしまった。まあ大丈夫やからあのスタイルなんでしょう。
私、17列目に座っていたので、舞台の全体を俯瞰して見られる位置にいたのですが、前の方に座っていたら多分もっとキャストさんたちの熱に圧倒されて、まるで自分もあの世界を作り上げる民衆の一人のような気持ちになっていたかもしれません。
そして多分体調悪くなる。
そのくらい、観ているだけでも精神的に削られていきます。
衣装と色づかい
南軍戦没者追悼記念日のパレードの場面で大量に降ってくる紙吹雪。カラフルで、あの場面だけを切り取ればとても美しかったです。
確かはじめと終わりで大量に降ってきてましたが、あの場面で出てくる民衆の人たちはみんな白い服を着ていて、より一層色の鮮やかさが映えていました。
カラフル=LGBTを思い出すのは安直な感性かもしれませんが、差別意識の蔓延るあの世界でそれを想起させる色を大量に降らせるのは(しかもそれを見て喜んでる)、相当の皮肉だな、、、と恐ろしくなりました。
ちなみに冒頭のパレードの場面の時、男性は帽子、女性は帽子&傘をさしていて、オシャレに見えてかつ口の中に紙吹雪が入らないように工夫されている合理的な衣装だなあ~~~と思って見ていました。(色とか気にしてなかった。笑)
色の話でいくと、最後のパレードの場面、舞台上にいる民衆は白い服+カラフルな紙吹雪を浴びていましたが、オケピ上の橋にいたルシールは真っ黒の服を着て一人で立っていて、白と黒、大勢と一人の対比が分かりやすく提示されているなあと思いました。
あとあの白い衣装、もしかして白人を表していたりもするのかしら?
恥ずかしながらTwitterのレポで知ったのですが、黒人さん役の人は今回黒い布?ストール?を巻いているそうですね。
全キャスト黄色人種でやるとそういうところで雰囲気を出すのだなあと勉強になりました。
また、これもTwitterで見かけたのですが、2幕頭らへんの黒人奴隷夫婦が歌う、”A-Rumblin’ and A-Rollin’ ” という歌の中に、「草競馬」という曲が一節挿入されています。これ、元々はミンストレル・ショーというショーの曲なんですよね。
《ミンストレル・ショー》
顔を黒く塗った白人によって演じられた踊り、音楽、寸劇などを交えたショー
おそらく版権の関係でそのまま使ったのだと思いますが、ブラックフェイスのメイクをせずに黒人を演じている黄色人種がこの歌を歌うことに、何らかの意図を感じてしまいます。
1人も欠かさず抱いている差別意識
「差別」というと、攻撃的なものを想像してしまいますが、この作品はそれだけでなく「日常の中に組み込まれた差別」も表現されていて、見ていてとても複雑な気持ちになりました。
さりげない場面の一言や態度に差別意識がにじみ出ているのが、とてもリアルで生々しかったです。
特に印象的だったのがルシール。
1幕はじめ、レオと話している場面で、
ピンを落としたルシールにレオが「なにか落としたよ」と伝えると、
「お掃除の時にミニーが拾ってくれるわ」
と。(セリフ全部大体です。)
目の前にあるから自分で拾えばいいのになあ、と思ってしまった。
ルシールってこの物語の中では「善」のイメージが強いですが、この台詞だけどうも気に障りました。
ただ単に彼女がお嬢様なだけかもしれませんが、このシーンが無ければ彼女は100%「善」のイメージになっていたと思います。(レオとの喧嘩で「北部人は~」と言っていますが、あれは差別というより売り言葉に買い言葉でしょう。)
ここで、ルシールも「黒人奴隷を働かせる白人の1人」という表現をさらりと入れてしまうのが本当にしんどい。
現実はこうなんだよ、というのを突き付けられている感じがして心が痛かったです。
次に印象的だったのがメアリーの母。
これは日常の場面ではありませんが、言っていることと思っていることの乖離をものすごく感じたので書き残しておきます。
裁判の台詞。
「許します、あのユダヤ人を。」
母なので容疑者を恨む気持ちがあるのは当たり前だと思いますが、そこにユダヤ出してくるんか…。
日本人の多くは仏も神もキリストもウェルカム精神なので、一生理解できない感覚かもしれません。
全編を通して白人と黒人、ユダヤ人と非ユダヤ人、南部と北部、色んな差別があって、じりじりとメンタルを削られていく感覚でした。
特に、南部の人と北部の人の間に差別意識(というか軋轢?)があるのは、恥ずかしながら知らなかったので、1番モヤモヤしました。今や同じ国なのになあ…。
あと、観劇後に公式サイトのレオ・フランク事件まとめ読んで知ったんですけど、当時って証言すると報奨金が貰えたんですね。
そりゃみんな嘘言ってしまう…。
特に、自分たちをこき使っている北部人、かつユダヤ人となると、あの地域では異物中の異物、できれば排斥したい存在だったのかもしれません。
別に自分の得にはならないのに嘘の証言をする女の子の気持ち、観劇している時は全く分からなかったので、これを読んで納得しました。
ここまですっごい他人事で差別を語ってますが、たぶん私も自分で気づかない部分で差別してしまってるのかもしれません。
考えてみてもあんまり思い当たる節が無いのが怖いですね。
一生忘れられない場面
私刑が執行されてしまった場面を、観劇から1週間経った今でもふと思い出します。
一生忘れることはないでしょう。
おわりに
事前にTwitterのフォロワーさんたちに観る前の心構えを教えてもらっていたのですが、
メンタルの調子を整えていかないとしんどくなるのは本当でした…。
みんな歌うまいし、楽曲も美しいものから怪しい響きのするもの、ソウルフルに歌い上げるものまであり、音楽面においてはとても魅力的な作品でした。
でも物語がしんどい。
人間の嫌な部分(しかも第三者目線で見ないと気づかない部分)を見せつけられていて、何とも言えないもやもやムカムカした感じ。
しんどい。(語彙力)
再演があればまた行きたいなと思いますが、
1、2年先でいいかな…。
それでは、
おあとがよろしいようで。
コメントはこちら