こんにちは。
観劇三昧OLです。
2021年5月29日の『スリル・ミー』配信を見ました!
田代×伊礼CDを持っているので完全初見ではありませんでしたが、キャストさんの動きを見るのは初めてでした。
今回は松岡広大×山崎大輝ペア、成河×福士誠治ペアそれぞれの感想、違いをつらつらと書いていこうと思います。
それでは、
レッツゴー!
概要
キャスト
・2021年5月29日(土)17:00配信
私 松岡広大
彼 山崎大輝
ピアニスト 篠塚祐伴
・2021年5月29日(土)20:00配信
私 成河
彼 福士誠治
ピアニスト 落合崇史
ストーリー
監獄の仮釈放審議委員会。
収監者“私”の五回目の仮釈審議が進行中である。
34年前、“私”と“彼”が犯した犯罪。
物語は、34年前に静かに遡っていく——。
19歳の“私”と“彼”。
ある契約書を交わした2人。
彼らに一体何が起きたのか。
“私”と“彼”
衝撃の真実が明かされていく——。
『スリル・ミー』公式サイト「ストーリー」より引用。https://horipro-stage.jp/stage/thrillme2021/#story
2ペアを見た感想
以外、ネタバレを含みます。
文中に出てくる台詞は全てわたしの曖昧な記憶の元書いているので、正確ではありません。ごめんなさい!
年齢感の差
松岡×山崎ペア(以下ヤマコー)と成河×福士ペア(以下成福)を比べると、やはりまず最初に感じるのは年齢差でした。
ヤマコーは等身大、まさに今大学院生の彼と私。
成福は若い人を演じているイケオジ俳優(良い意味)
という感じでした。でもなぜか可愛らしくておぼこかったのは成河さんの方という。←
ヤマコーは実際に私たちも34年前にタイムスリップして、目の前で起こっていることを見ている感じ、
成福は、成河私の回想を再現映像のようなもので見ている感じがしました。53歳の私が語る物語を聞いている設定。
演じる人によって表情や台詞の言い方が大きく変わるのは分かっていましたが、
年齢感というか観客が今どの視点で見ているのかがキャストによって変わるとは思わなかったのでとても驚きました。
本当に演じる人によって大きく変わる作品だな・・・というのを痛感しました。
終演後の受け止め方
ミュージカル観たな~と思えたのがヤマコー
演劇観たな~と思えたのが成福でした。
発声の仕方とか台詞の言い方、歌い方的にはヤマコーの方がお芝居みは強かったですが、なぜか見終わった後の感想は反対に。
ミュージカルってやっぱりエンタメ要素が強いので、ヤマコーにはどこか非現実的なものを感じたのかもしれません。
顔綺麗やし。(そこ)
初見だったのもあるかとは思いますが、ヤマコーペア見終わった後は頭がぐしゃぐしゃだったんですよね。
話の筋は知っていたものの、演出とか動きとか全く知らなかったのでそれを吸収するので精一杯でした。
成福は2回目だったので、演出よりも2人の演じ方に注目して見ることができました。だからこそ人物の内面がゴリゴリに見えてきて、演劇見たな~という気持ちになったのかも。
私、ストレートプレイのほうが音程とかリズムがない分、俳優さんの気持ちがそのまままっすぐ届いてくるような感覚になるんですけど、成福(というか成河さん)は歌っててもストプレ見てる気持ちになりました。
おかしいな、松岡さんよりもしっかり音符に乗せて歌ってる感じはしたのに。
ヤマコーが非現実的に思えたのは顔だけじゃなくて、
あえて歌でも台詞っぽく言うところがあったからかしら。「スリル・ミー」とか音程ないところあった。
曲の中で台詞っぽい歌い方を挟むと、余計に歌が歌であることが強調されたような感じ?がしたのかな?
正解はよく分かりませんが、ひとつ言えることは
どちらのペアも歌・芝居が上手すぎて没入感半端ない
ということでした。
ところで成河さんの1オクターブ上げた「スリル・ミー」は心臓に悪いですね。びっくりした。最高。
53歳の私
仮釈放審議委員会の私の作り方がこれまた全然違う…
・松岡→後悔たっぷり
・成河→昔を懐かしんでるおじいちゃんみたい
2人の「53歳の私」は、それぞれ全く別の感情が宿っているようでした。
松岡さんは、もうこんな話聞かれたくないと思っているような、後悔と悲しみが全面に溢れたお顔。
反対に成河さんは、まるで孫に自分の昔話を聞かせているようなほのぼの笑顔。(目はイッちゃってますが)
山崎彼は最近死んだのかなと思うほどまだまだ悲しんでいる松岡私と、
悲しみすぎておかしくなったのか口角上がりっぱなしの成河私。
松岡私は、
・子供を殺したことそのものを悔いている
・もし彼を止める力があれば未来は変わっていたかもしれない、と悔いている。
そんな気がしました。仮釈放されたら彼の墓→子供の墓をはしごしそう。
成河私はそもそも彼と一生一緒ならそれでいいから、彼のいない刑務所に用は無いと思ってそう。
子供を殺したことに関する後悔は無し。墓参りも無し。
「猟奇的殺人」というワードに大きく反応していたのも成河私でした。
松岡私は下向いてた顔を少しあげて、覇気のない声で「そういう言い方は、ちょっと…」
不本意だけどやるしかなかった殺人で、快楽目的じゃなくて、仕方なくやったこと。
殺したことに対しての反省はしてるけど、「猟奇的」とは少し違う…という風に思っているように見えました。
成河私は下向いてた顔を大きくあげて、はっきりと「そういう言い方は、ちょっと」
彼とふたりで成し遂げたこと、自分が成功させたシナリオを「猟奇的」という言葉で片付けるのは許さないという強い意志を感じました。たぶん「芸術的」って言われたら納得してる。子供を殺したことに対しての反省はゼロ。
殺人に対する重みが松岡私と成河私の間で大きく異なっているのが非常に面白いなと思いました。
山崎彼と福士彼
彼役も人によってこんな違うんか~~と感動してしまいました。
まず山崎彼は正真正銘のおバカ。
つまらない日々を過ごしている中でニーチェに出会い、ゆがんだ方向に解釈して自分は「超人」だと思い込んでしまった、そんな感じがしました。
レイ(私)のことも、本当に鬱陶しがっていて、たぶん嫌い。
久しぶりの放火の後、勝手に家に来たレイに対する扱いが本当に面倒くさそうでした。
殺人の相談の際も「僕・・・?」と心配するレイに対して
「お前以外でな」とさらっと言うあたり、レイを弄ぶことに対して微塵も興味がありませんでした。
山崎彼の中でレイと言う存在は、護送車の種明かしのあの瞬間まで「自分の言うことをよく聞く犬」だったのかなと思います。最後は飼い犬に手をかまれて重傷エンド。
反対に福士彼は臆病者。
自分よりよくできる弟に相当のコンプレックスを抱いていて、すがれるものがニーチェとレイだけだった、ああなるしか無かった、そんな感じがしました。
自分が超人では無いこと、弱い人間であることは、心の底では薄々気がついているけれど、認めたくない。
悶々としているときにニーチェに出会い、自分の最後の砦はこれだと思ってしまったように感じます。
レイへ向ける感情も、馬鹿にしているというよりかは、どこか恐れているような感じ。
具体的にどの場面、というのはありませんが、レイを見つめる福士彼の目が、どこか恐れを感じて萎縮しているような印象を随所で感じました。
ただ、レイに向けて放つ「お前がいないとダメなんだ」という言葉に対する反応を見て「こいつは自分に落ちた」と確信してしまったが故に、最後はレイの手中に落ちてしまった。
自分の方がレイより上に立てたと思ってしまったその傲慢さが、最後の結末を引き寄せてしまったような感じがします。
新納さんは一体どんな彼なのか、非常に楽しみです。
山崎彼がイケメン過ぎたので小学生時代の私ならついて行きそうやなと思いました。
不審者にはついて行ったらダメよ!!!
「戻れない道」
松岡私を見た後、「”私”はいつから計画を実行していたの・・・?」と疑問が湧いたので、
成福回は、いつから”私”が計画を始動させていたのかに意識を置いて見ていました。
成河私なら再会したときから考えてそうやなと思いましたが、
やっぱり殺人の前に歌われる「戻れない道」から覚悟を決めているように見えました。
松岡私の時は子どもを殺すことに対する後悔、彼を止める力も彼と離れる勇気もない自分へのやるせなさを歌っているのかなと思っていました。
最後のフレーズ「理想の場所 信じていた 二人の時間 永遠に」は、一応結末を知っていたので背筋がゾワッとしましたが、それでも松岡私は「子どもを殺すことへの後悔」をメインに持ってきているように感じました。
一方成河彼は、最後のフレーズで目が据わったので、「覚悟決めたな今・・・」と。
「永遠に」の時、少し猫背になっていたような気がするんですけど気のせいかな。
あの歌をあの場面で53歳私が歌ってたらそれはそれで背筋が凍る。
※5/30追記
にろまりver.しっかり前で手組んで歌ってました。これは53歳の私が過去を振り返りながら歌う歌です。衝撃…!
成河私は終始「後悔」という感情が見えなくて、
例えば
「戻りたいと 思っていても 戻れなくて あまりにも遠くまで来てしまった」は、
松岡私→子どもを殺すことを思いつく前に戻りたい
成河私→彼と出会って好きになる前に戻りたい(けど好きになってしまったから戻れないし戻りたくない)
という感じがしました。
松岡私は彼のことを愛していて、できることなら品行方正な方に二人で歩んでいきたい
成河私は彼に執着していて、一緒にいられるなら何でも良い
一言で言えば純愛かメンヘラかみたいな差があるなと思いました。(成河私がメンヘラ。)
はじめの疑問に戻ると、
成河私は、彼と再会したときから「彼とどうすれば永遠に一緒にいられるか」を考えていて、殺人の前に計画をすべて練り上げて実行した
というのが自分の中ではしっくりくるかなあと思いました。
ただ、歌い方が19歳私っぽくなかったのが気になりますね・・・。5/30のにろまり配信で確かめよう。
手組んでたり猫背なってたらきっと53歳私よね。それともここも人によって違うのか・・・?
→手を組んで歌っていました。
こうなると解釈変わってくるのでまた別の記事で書けたら書こうかな。とりあえず初見の時はこう思った、という記録として置いておきますね。
護送車での種明かし
松岡私と成河私の違いの中で、私が一番面白いな~と思った部分です。
護送車内で弁護士の素晴らしい弁論について語る2人の場面。
「俺は本当はああいう弁護士になりたかったんだ」という彼に対しての反応が
松岡私→(死んだ顔で)「そうだったの、知らなかった。」
成河私→(にっこり笑顔、目は笑ってない)「そうだったの、しらなかった」
さっきも書いたように、やっぱり松岡彼は「殺人を犯した」ということに対して後悔と自責の念はあって、「こんな弁護士になりたかった」と言う彼に対して(もう遅い、すべて終わった)という気持ちだったように思います。
殺人を犯しておいて「こんな弁護士に~」とほざく彼に対し、この人はこんなに頭が残念だったのかというあきれた気持ちが半分、やっぱり僕がいないとダメなんだという母性本能?のような気持ちが半分で護送車での種明かしに至ったのかなと思います。
「99年」も「僕がいないとダメでしょ・・・!!!」感が強かったなと。
反対に成河私は、彼が弁護士になりたいとかそういうの全部どうでもよくて「これから一生一緒にいられる」という事実に対して喜びを噛みしめていたからこその、あの気持ち悪い笑顔なのかなと思いました。
一緒にいるためにこんなことをやってのけたんだよ!すごいでしょぼく!!!みたいな、お母さんに褒められたい子どもの気持ちで護送車での種明かしに至ったように思います。
松岡私は母のように
成河私は子どものように
どちらも無償の愛、家族愛に近くて、彼が本当の家族から感じられなかったもの。
私が『スリル・ミー』をBL作品と捉えられないのはこれが理由なのかなと思います。
CDで聞いていたときから、彼と私の関係は恋人でも友人でもなく、彼と私だけのもののような気がしていました。
BLがどうこうスリルミーがどうこうみたいな話題を一時期twitterで見かけましたが、それで初めて(あれをBLと捉える人がいるんか、そういえばそうやな、、、)と気がついたくらい、
彼と私の関係は既存の枠にはまらない特殊なものだと思っていました。
実際に映像を見て、やっぱりその気持ちは変わりません。
どちらかというと家族に近いような、でも家族よりもっともっと深くて離れられない関係。
「共犯者」という呼び方が一番しっくりきますが、何かそれでも物足りない気がします。
彼と私は「彼と私」という唯一無二の関係で、これは『スリル・ミー』という作品だけのものだなのだと思いました。
舞台上の青色と赤色
舞台後方、上のほうにある長方形の扉の部分の色が気になっていました。
「戻れない道」の時は青色に光っているんですよね。ポスターにもなっているあの青。
青は冷静、とか落ち着き、といった心理的効果?見え方?があると思うのですが、普通に考えて殺人前の準備でそんな落ち着いてられるか??と思うわけです。
反対に、「99年」の時は真っ赤になります。
先ほど書いたように、「戻れない道」で彼と永遠に一緒にいる計画を練り実行を決めたとすると、ここでは私の「知性」が表われるから青色に、
「99年」では永遠に一緒にいることが決まった私の「本能」「欲望」が見えるから赤色にしたのかしら。
それともニーチェが赤色と青色の件について何か書いているとか?
真相は分かりませんが、色を変えていることに何らかの意味はあるはずなので、にろまりver.はそこを重点的に見たいと思います。
もし何かご存じの方いらっしゃれば教えてください。
皆様の考察もお待ちしています!
おわりに
キャストによってこんなにも見方が変わるなんて・・・!
これがダブルキャスト・トリプルキャストの面白いところだな~と改めて痛感しました。
5/30は最後の配信、田代×新納ペアを見ます。
この二人は一体どんな『スリル・ミー』を作り上げているのか・・・今からとても楽しみです。
配信の準備をしないと!
それでは、
おあとがよろしいようで。
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