【感想】ミュージカル『GHOST』~久々の号泣回~

【感想】ミュージカル『GHOST』~久々の号泣回~

こんにちは。

観劇三昧OLです。

ミュージカル『GHOST』4/10 12:00公演を観てきました!

咲妃みゆさんがモリーを演じている回です。

以前サンケイホールブリーゼで公演が行われた時は客席で観れなかったので、今回初めての観劇となりました。

それにしてもブリーゼ→新歌舞伎座ってキャパめちゃくちゃ増えましたよね。

最大収容912席→1501席への大躍進です。

新歌舞伎座自体も2018年の1789以来だったので、新鮮な気持ちで楽しめました。

なにより

2列目

なんなら最前列使ってなかったので

実質1列目。

高まりました。

それでは

レッツゴー!

概要

ミュージカル『GHOST』は、1990年に公開され大ヒットした映画「ゴースト/ニューヨークの幻」のミュージカル版です。

2011年にウエスト・エンド、2012年にブロードウェイで上演され、日本では2018年に初演を迎えました。

日本では今回が2回目の上演です。

演出は『ミス・サイゴン』などで有名なダレン・ヤップさん。

訳詞はアナと雪の女王「ありの〜ままの〜」などを訳した高橋知伽江さんです。

あらすじ

温厚で誠実な銀行員のサム(浦井健治)は、芸術家である最愛の恋人モリー(咲妃みゆ/桜井玲香)と幸せな日々を送っていた。ある夜、外出先から家路を辿る道中にモリーは「あなたと結婚したい」と打ち明ける。これまで避けていた突然の結婚の話題に戸惑いを隠せないサム。「愛してる?」と問いかけてもいつも曖昧にしか答えてくれないサムに、モリーは「なぜきちんと言葉にして伝えてくれないの?」と、不安な気持ちをぶつける。
その時、暗がりから一人の暴漢が襲いかかり、サムと揉み合いになる。動転し狼狽するモリーの悲鳴が響き渡るなか、一発の銃声が夜の路地を引き裂いた。男を追走するも取り逃してしまったサムがモリーの元へ戻ると、そこには彼の名前を呼び続け縋り泣くモリーと、血だまりに沈む自分の姿があった。

シアタークリエミュージカル『GHOST』公式サイト「STORY」より引用。https://www.tohostage.com/ghost/

キャスト

サム    浦井健治
モリー   咲妃みゆ/桜井玲香
カール   水田航生
オダ・メイ 森公美子

ひのあらた
松原凛子
栗山絵美
松田岳
西川大貴
小川善太郎
染谷洸太
宮野怜雄奈
山野靖博
吉田要士
上田亜希子
國分亜沙妃
華花
湊陽奈
元榮菜摘

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主要キャストさんについて

咲妃みゆさんの圧倒的な表現力

まずは声の圧力がね、すごくて。

なにせ1番前なので、

マイクを通していない声も聞こえるんです。

マイクも拾ってるけど、直でも聞こえてるというか。

スピーカーの近くだったので音楽も爆音でしたが、それに負けないお歌が聞けて耳が幸せでした。

咲妃みゆさんは、力強く歌うところ、切なく弱々しく歌うところ、デュエットで華やかに歌うところ、

声帯の使い分けが物凄かったです。

サムが亡くなったあと自宅で歌う「ウィズ・ユー」。

これからこの家で始まるはずだった日々が突然無くなってしまった喪失感

広くなってしまった家、

1番大切な存在をあっけなく失ってしまった虚無感

色んな「空っぽの心」が伝わってきて涙が止まりませんでした。

今は信じてみよう」は、一見明るくなったように見えましたが、どこか危ういというか、

今詐欺に遭ったら間違いなく騙されそうな、

嘘でもいいから自分の信じたいことを信じているような、

大袈裟に言ってしまえば

変な宗教に魅入られているような

そんな風に感じました。

反対に「夜は必ずあける」は、朝日を浴びてキラキラした顔をしていて、肩の力も抜けていて、

少しずつでも前を向いている強い女性の姿が見えました。

この2曲の雰囲気の違いが、喪失感を何かで埋めようとしていた姿から、ありのままを受け入れて生きていく姿へと変化していったモリーのしなやかな強さを表現しているように感じました。

浦井健治さんは面白いところが記憶に残りがち

浦井健治さんは、何よりも

頭を振ると髪の毛がサラサラなびくのが気になってしまった…!!!

お歌がすごいのはもちろん、

どこからが台詞でどこからがアドリブなのか分からない台詞回し?言い方なのもすんごいなあ…と。

サカケンさん(坂元健児さん。面白いミュ俳優)も何がアドリブなのか分からん喋り方をしますが、同じ香りを感じました。

森公美子さんとのかけあいも面白くて、終盤ズビズビ泣かせてくる人と同一人物とは思えん…。

オダメイに嫌がらせ(?)してる場面で蚊の鳴くような声で歌ってる、

「僕はヘンリー八世 未亡人とできちゃった♪」

忘れられぬよ…笑

「このペンもらっていい?」もりくみさんにならあげちゃう。

オダメイ〜〜〜!

ゴリゴリに前科あるわりにチャーミングで素直でかわゆいのよね…!

でも銀行で「このペンもらっていい?(ゲス顔)」っていうのは、ただペンコレクターなんじゃなくてきっと

指紋残さないため

なんやろなあ…

まあ机とか椅子とか触ってるから一緒なんやけど。

(あれ、もしかしてペンコレクター説あるんか…?)

話の内容的にはウエストサイドストーリーも真っ青な悲劇ですが、オダメイがいることで程よくショーとしての要素、コメディとしての要素、「楽しんでいいんだ」という観客への許しのようなものが生まれていたように感じました。

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歌・台詞について

「聞かせて 愛の言葉を」-モリー

正直、アンチェインド・メロディより心に刺さるものがありました。

「愛してる」とたった一言言って欲しい、信じていない訳じゃないけど不安になる

女心がこれでもかというぐらい表れていると思います。

愛しているではなく「月が綺麗ですね」と言えばいいと夏目漱石は言いましたが

それでもやっぱりド直球ストレートに愛の言葉を聞いて安心したいです。

言葉にしなくても伝わってるでしょ〜っていう態度は日本男児ならあるあるかもしれませんが、海外もこんな感じなんですか?

海の向こうの方は愛情表現をうやむやにしないと思っていました。

1度目のアンチェインド・メロディも、モリーに愛してると言われたサムが「ディトー」と言ってごまかしたあとに歌い始めます。

愛を歌で表現するのは、ミュージカル的には素敵この上ないシーンですが、やっぱり「愛してる」の言葉に勝るものはないと思います。

言霊(ことだま)ってよく言いますが、

言葉にして書いたり声に出したりすると、その通りになる気がします。

愛されていることを感じ取っていても、それに上乗せして言葉が欲しい。

ぼんやり感じ取っていることをハッキリとした形にしてほしい。

人の心理を突いていて、分かる〜〜となるシーンでした。

「聞かせて 愛の言葉を」-サム

逆に、何故サムは「愛してる」と言えなかったのか。

これは完全に私の妄想ですが、

声に出してしまったらその場で言葉は消えてしまう

見えないものに愛をのせて消えてしまうのが怖かったのかなあと思います。

声ってもちろん見えないじゃないですか。

銀行マンのサム、普段は数字という現実を見て、自分の見えているものだけを信じて生きていたのかなと。

目には見えないけど確実に自分の中に在る「愛してる」という言葉を、同じく目には見えない音声に乗せた瞬間に

空気中で全部消えてしまうのではないか

そう思っていたのかもしれません。

自分がゴーストになり、今まで見えていなかったものが見えるようになったからこそ、

見えなくてもそこに在るという実感が湧いたからこそ、

モリーとのお別れの時に「愛してる」と言えたのかなと、

そんなことを思いました。

「また。」ラストの言葉の魔力。

最後、天国へ向かうサムがモリーに言う台詞

「僕の愛は永遠だ」

「また。」

これほど胸を締めつけられる言葉はありませんでした。

会いたくて会いたくてたまらなかったサムに最後に会えたモリーは、とても嬉しくてとても苦しかったと思います。

ここでサムに「幸せに」と言われてしまったら、

サムではない誰かとの幸せを願われてしまったら、

それはそれで苦しい思いを抱えると思います。

でも、もう二度と生きて会えない恋人に

「愛は永遠」「また」と言われるのも、私は呪いをかけられているように見えました。(某漫画の読みすぎ?)

モリーが新しい誰かに心動いたとき、きっとサムのことを思い出すでしょう。

結婚してその人と天寿を全うしたいと思っても

「また」

と言ってくれたサムが向こうで待っています。

所詮はフィクションなので、モリーはこのままずっとサムを愛しつづけて、養子を引き取って幸せに暮らし、子供たちに囲まれて死んだあとはサムに会いに行く。

そんな未来を想像することもできます。

でも、一人の女性のこれから続く長い人生をサムで縛り付けてもいいのか…。

最後のサムの台詞は、私の中で色んな気持ちが入り交じってしまい、とても辛かったです。

愛する人と早すぎる永遠の別れ。いつか来る未来でまた、という呪いのような約束。

悲しみと切なさと恐ろしさで感情がぐしゃぐしゃになった終演でした。

なぜこんなに泣けるのか

終盤になるにつれ、私も周りの人もグスッ…

咲妃さんも歌いながら泣いている場面が多々あり、相当お心の負担になっている気が…。

なーんでこんなに泣けるのか、ぼんやりと考えてみたことを書き連ねます。

映画を見たことがないので、映画ファンの方からしたら「何を今更」って思うようなことかもしれませんがご了承ください。

日本でよくやるミュージカルとの大きな違いは、

等身大

これだと思います。

以下3つの「等身大」ポイントが、人々(というか私)の涙を誘うのかなと考えました。

・服装
・小さな喧嘩
・2人の性格

1つずつ見ていきます。

服装

日本で人気のあるミュージカルは、フリフリドレスにフランス革命、髪の毛はカツラでもりもり、どこか浮世離れしている世界感。

これが多数を占めています。

ゴーストの主人公モリーは、フリフリドレスどころかパーカーにジーンズ、スニーカーとラフな格好で、そのままコンビニにも行けそうです。

客席にいる人々(特に女性)は、モリーを「現代を生きる女性の姿」として捉え、自分の姿に重ねやすいのだと思います。

小さな喧嘩

※台詞は全て意訳

冒頭、ロフトに引っ越してきたばかりの頃、モリーはサムが持ってきた派手なポスターを見て

「持ってきたの?」

「クローゼットの奥に飾るのはどう?」

とサムに言います。

自分の考えたインテリアに合わないから飾りたくないモリーと、どうしても飾りたいサムとでちょっとした言い合いになります。

サム「この家具買うのを許したじゃないか」

モリー「許したってなんて言い方なの!いいねって言ってたじゃない!」

…一緒に住み始めるカップルなら必ず通りそうな小競り合いですよね。

現実にありそうなカップルの言い合いが冒頭に配置されているのも、これから進む物語の中に自分を投影できる大きな仕掛けなのだと思います。

2人の性格

まずはサム。

絶対に愛してると言いません。

モリーにお願いされても言えません。

日本人限定かもしれませんが、愛してるって言われたいのに言ってくれないなあ…ほんとに私の事好きなのかな…

と不安で胸がいっぱいになった女性は多いのではないでしょうか。

反対にモリーは、「愛してると言って!安心したいの!」と、全女性の心の中を代弁するかのごとくサムに向かっていきます。

愛してると言って欲しくても、言ってよ!!!と詰めよれる女性はそこでも多くない気がします。

既視感のある状況に、その時自分が成しえなかったことをやってのけてくれる女性。

私もあの時こうしたかった…と過去を振り返り、モリーを自分に重ねる女性は多いのかもしれません。

モリーは私たちの鏡

等身大の姿は、より観客が自己を投影しやすくなり、共感を呼ぶのだと思います。

もちろん、目の前で繰り広げられている悲しいお話そのものに涙を流す方も沢山いるとは思いますが、

個人的には久しぶりに号泣に近い泣き方をしたので原因を考えてみました。

冒頭に等身大ポイントを散りばめることで、ファンタジー要素が増えてくる後半も物語にのめり込める状況を作っているのだとすると、こういう物語をゼロから書く方って凄いですよね…人間のことよく分かってらっしゃる…。

ゴーストのいい所は、ミス・サイゴンと違って重たいものをズルズル引きずらなくていいところですね。

悲しいしめっちゃ泣くけど、カタルシスを感じられる素敵な作品でした。

余談~1番前の眺め~

2列35番に座っていたのですが、

すこーし上手よりなんですよね。センターブロックのひとつお隣のブロックでした。

3階建て?のロフトのセットの時は首がほんのり痛かったです。嬉しい痛みですね。

入り、捌けも良く見えました。

終盤、オダメイの体を借りてサムがモリーに触れる場面、

ああこうやって入れ替わってるのね…箱…

となりました。

舞台との距離が近い分全体を見渡すのは難しかったですが、細かい表情が見えたり、本当に陶芸してるのが見えたり、声の圧が凄かったり、

前じゃないと楽しめない部分が沢山ありました。

しかも新歌舞伎座よ…?

歌舞伎で前から2列目なんて高くて座れないわよ…?

思う存分座席あたためておきました。

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おわりに

いかがだったでしょうか!

とりあえずこの人めっちゃ泣いたんやな〜!っていうのが伝わってたら本望です!

いつか映画も観たいなあ…。

それでは、

おあとがよろしいようで。

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